2025.08.27

『黒霧島』の味わいができるまで。妥協なきこだわりが築いた屋台骨。

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芋らしさ。“黒”らしさ。
突き詰めた先に生まれた『黒霧島』らしさとは。

『黒霧島』を抜きにして霧島酒造を語ることはできないだろう。それほどまでに、その誕生は鮮烈で、躍進の大きなきっかけであった。
発売から約30年経った今も、広く長く飲まれ続けている『黒霧島』。その味わいは、どのように造られたのだろうか。
当時の開発チームのメンバーであり、2代目社長・江夏順吉からブレンド技術を受け継いだ酒質開発本部の奥野博紀に話を聞いた。

「黒の焼酎を造ろう」と口火を切ったのは、当時の商品開発の責任者であり元代表取締役専務の江夏拓三だった。
そのころ市場を席巻していた黒ゴマ、黒酢などの「黒商品」ブーム。競合ひしめく焼酎業界で伸び悩んでいた危機感。そのような背景もあり、主としていた白麹仕込みから黒麹仕込みの本格芋焼酎の開発に舵を切ったのだ。
「直接私の耳に入ることはなかったですが、取締役会では反発の声も多かったと聞いていますね※1」と、当時を振り返る奥野。
しかも味わいを担うメンバーは、奥野と奥野の上司のふたりだけだった。

味わいについて、拓三や営業の現場からは「コクとあまみのある焼酎を」という要望が伝えられた。
「当社の主力商品であった『霧島※2』は酵母由来の酢酸の影響と考えられますが、酸味が比較的強かったんです。新商品では酸味の解消と、先々代の順吉社長が指標としていた<あまみ・うまみ・まるみ>のバランスを特に意識しながら、味わいの開発を進めました」
※1 関連するエピソードはこちら
※2 創業初期に『本格焼酎 霧島』として発売され、2015年に『白霧島』にリニューアル発売した白麹製の本格芋焼酎

主力商品だった『霧島』の商品ラベル

一番苦労したのは、麹と酵母の選定だった。
黒麹仕込みと言っても、麹自体が持つ個性や麹と酵母の組み合わせ、配合バランスによって、その原酒の味わいは変わる。無限の可能性があるが、裏を返せば思ったような味わいでないものも多数ある。そのなかから正解を見つけなくてはならない、そんな途方もない宝探しのような過程であった。この味わい造りにおいて、順吉から受け継がれたものやこだわりは、奥野の大きな助けとなった。
ひとつは、順吉が試作した様々な黒麹製の焼酎原酒のサンプルだ。『品質こそが最大のサービス』という信念のもと、最後まで味わいを追求し続けた順吉が残した膨大なサンプル。
「これがなければ開発はもっと長くかかっていたでしょうね」と、奥野は当時を思い出し懐かしむ。
もう一つは、新入社員の頃から10年以上順吉のもとで学んだ“こだわり”だ。これが開発における指針となった。
「順吉社長はよく『1000分の1の味の違いが解って一人前のブレンダーだ』と言い、妥協を許さない人でした。私もその教えを守り、1日約100パターンほどのブレンドを検証し、最後は数%単位で配合を変え、吟味を重ねました」
また、配合バランスの見極めについても順吉の教えが生きている。
「多少の欠点があったとしても、<あまみ・うまみ・まるみ>の3つのバランスが良ければそれを優先するというのが順吉社長の考え方でした。『優等生ばかりのクラスでは面白くない。わんぱくな子、おとなしい子などいろいろな個性の子が集まっているクラスのほうが面白い。』つまり、いろいろな個性を持った原酒をブレンドすることにより、味のふくらみや奥深さが出てくる。多少の欠点よりも、長所をどう伸ばすかというブレンドを心がけていました。その考えは後進のブレンダーたちにも受け継がれています」

一方、拓三は種子島で、黒麹による伝統的な造りを行う酒蔵を訪ね歩いた。それにより、自身が思い描いていた理想の味わいの方向性が明確になり、都城に帰って早速「この方向性を高めてほしい」と奥野に共有した。そうして託された思いと奥野らが追い求めていた味わいとが重なり合い、3か月にわたる調整の末、『黒霧島』がついに完成した。

その後『黒霧島』がどのような道のりを歩んできたかは、日本全国で飲まれ続けている現状が物語っている。
「もちろん品質に自信はありましたが、どちらかと言えば焼酎を飲み慣れている玄人向けの商品だと思っていたので、まさか焼酎になじみのない層にも受け入れられ、ここまでヒットしたのは想定外でした」と奥野。
特に「芋焼酎なのに芋臭くない」という評価には、戸惑ったそうだ。
「最初は“芋らしさにはこだわったはずなのに…”という思いがありました。ですが、やがて気づいたのです。芯にある“芋らしさ”――ふくよかさや優しい甘み、ぬくもりのようなものをお客様も感じ取っていたのだろう。こうして『黒霧島』らしさが形作られていったのだ。我々が芋らしいと思っていた香味は、お客様にとっては新鮮で心地よいものだったのではないかと」

第39回「食品ヒット大賞」ロングセラー賞 表彰状

奥野らが造り上げた『黒霧島』は、当時からほとんどその味わいを変えていない。しかし奥野は、それもいつか転換すべきときが来るのではないかと語る。
「いつか若い人が焼酎を飲まなくなる時代が来たとき、伝統を守ることも大事ですが、時代に合わせて味わいを見直すことも選択肢のひとつだと私は思っています」
そうなれば、当然反発もあるだろう。そんな転換期が実際に訪れるかはわからないが、『黒霧島』がこの先どのような道を歩んだとしても、順吉から奥野へ、奥野から若いブレンダーたちへ受け継がれてきた信念は惜しみなく注がれることだろう。
そうして『黒霧島』はこれからも霧島酒造にとっての屋台骨であり続けるのだ。

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